背景
私は、学生時にスタートアップでインターンと起業をした後、修士過程に入学をし、今は研究生活を送っている。中途半端ながらも産業界とアカデミアの両方の世界も経験したことがある。今回は、その一通りの経験をもとに、日本におけるアカデミアと産業の間にあるギャップについて話していこうと思う。そして最後には、そのギャップを埋めるために両者がどのようにして協力すべきかについて考察する。
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<summary>それぞれの経験</summary>
産業の経験
- 3年ほどAIスタートアップやフードテックスタートアップでエンジニアとしてインターンした
- CEOとして起業して、6000万円資金調達し、受託開発したり、ユーザ数そこそこのサービスを2つ(OTOAKA, PENTA)運営した
- ETHGlobal Tokyoなどのグローバルハッカソンでファイナリストに選ばれた
アカデミアの経験
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アカデミアと産業の特徴
まず、産業とアカデミアの特徴について説明する。それぞれの特徴をまとめたものを以下の表に示す。
アカデミア | 産業(者) | |
---|---|---|
定義 | 学術界や研究機関 | 生活に必要な物的財貨及び用役を生産する活動を行なう機関 |
例 | 大学・研究所・学会 | 商社・IT企業・病院 |
成果物 | 論文 | プロダクト・サービス |
価値基準 | 論文の採択数・被引用数 | 売上 |
評価者 | 研究者 | 消費者 |
同業者との関係 | 学術仲間 | 競合他社 |
1. アカデミア (Academia)
学術界や研究機関
(source)
アカデミアとは、大学・研究所・学会などを指す、研究を行なう機関のことである。
アカデミアの成果物は、主に日々の研究成果をまとめた「論文」である。論文はジャーナルなどの学術誌に掲載されたり、IEEEなどの学会で発表される。通常、論文の掲載・発表のためには査読をパスする必要がある。
また、発表後も他の研究者による引用や批判が行われることで、まさに糸を紡ぐように知識がアップデートされていく。
著名な学会で論文発表をするために、教授が大学や研究所でラボを持ち、学生を教育しながら研究を行う。
評価者はプロの研究者
特筆すべきなのが、数名のプロが下支えとなっているコミュニティ構造である。査読の担当者には過去に偉大な発明をした(例えばRSA暗号のShamirなど)洗練された教授や博士が名を連ね、世に出る論文のクオリティを保っている。そのため、教授たちはいつ過労死してもおかしくないほど忙しい。私の教授も平均睡眠時間が3時間の中、学会の休憩中や帰りの新幹線に次の学会の査読をしている。
同業者=学術仲間
研究は「評価・批判」を重要視するため、オープン・共創が基本となっている。先行研究で残された課題に取り組むことや、共同研究、査読、教育など、すべて「共創」の精神のもとに成り立っている。研究成果の盗作などは研究倫理によって禁止されている。
2. 産業 (Industry)
生活に必要な物的財貨及び用役を生産する活動(を行なう組織)
(source)
産業は、農業者から商社・IT企業・病院・学校のような、商品を製造/開発し、それを消費者に販売するまでの過程に携わる活動機関を示す。
産業の成果として挙げられるものは「売上」である。いわゆる企業価値は売上をベースで計算され、いくら売り上げたかが、どれだけ社会に価値を届けたかを表す指標となる。
産業は、売上のために「プロダクト」や「サービス」を開発し、それを消費者に営業する。運営資金が尽きたときがゲームオーバーなので、資金繰り、営業、開発を同時に行う必要がある。
評価者は消費者
産業の売上は消費者の購買判断によって決まるため、評価者は消費者となる。消費者は製品について詳しい知識を持っているとは限らず、購買を決定する基準も「見た目がよさそう」「安い」「みんな使ってる」など様々である。
したがって、常に良い製品が売れるとは限らないため、原材料や使用技術といった本質は軽視されることもある(目先の利益のために本質を軽視する企業は長続きしないと思うが)。
同業者=競合他社
産業は、資本主義の原則により、競争を前提とする。同業者のことは一般に競合他社と呼ばれる。
自社製品がその分野で占める売上の割合を「マーケットシェア」という。
マーケットシェアを伸ばすためには、他社より優れた戦略(とくにマーケティング力と営業力)をもつ必要がある。
主な戦略として、エジソンのように他社製品のネガティブキャンペーンを実施したり、Uberのように割引による消費者の囲い込みを行ったりといったことが挙げられる。
3. 知識が消費者に届けられる流れ
新たな知識が発明されてから、それが実際に消費者に提供されるまでの流れを通し、アカデミアと産業の関係性を説明する。
事象 | 当事者 | 説明 | |
---|---|---|---|
1 | 知識の発見 | アカデミア | 仮説立てや研究の最中に新たな知識が発見される。 |
2 | 知識の形式化 | アカデミア | 論文発表、検証、批判を経て知識が形式化される。 |
3 | 実装 | 産業 | 消費者のニーズに沿ったプロダクトに知識が利用される。 |
4 | 販売・運用 | 産業 | プロダクトが消費者に販売・利用される。 |
5 | 問題の発見 | 産業(消費者) | 新たな問題が生じる。 |
6 | ゴールの再定義 | 産業・アカデミア | 問題を解決するためのゴールが再定義される。 |
7 | 1に戻る |
知識の発見においては、分野によっては「光の正体はなにか」といった哲学的な疑問がモチベーションとなることもあるが、ある実世界上の問題を解決することがモチベーションとなることもある。上表では後者の例を記載している。
上表より、「知識の発明はアカデミアに属し実装は産業に属す」と言い換えることができる。そして、それらは消費者のフィードバックを経てループする。そのため、アカデミアは産業に知識を売り込むことで、それらは実際に消費者に利用される。逆に産業は最新の知識をキャッチアップすることで次のビジネスチャンスを得られる。
また産業(特に消費者)はアカデミアに「いまのプロダクトにはこんな問題がある」「実世界にはこんな問題があるが最適な解決策が存在しない」といった問題を知らせることで次の発明に繋がる。
アカデミアと産業の”ギャップ”
1. 実装とのギャップ(死の谷問題)
発明したものの実装過程で躓いてしまう現象は、非常に課題視されている。実装における困難の多くは、環境、資金繰り、チームといった発明の内容とは直接関係のないことも多い。死の谷はインターネットにも存在した。
2. 思考・行動のギャップ
まず技術の扱い方にギャップは存在する。これは産業・アカデミアどちらかに限った話ではないが、優れた論文ほど「どんな課題を解決したいか」のゴールと要件が明確である。対して「とにかくこの技術を使いたい」という目的が先行してしまうと、設計が無意味に複雑化していたり、不必要な機能がいくつも足されていたりする。車輪の再生産や技術キメラを防ぐためにも「何が課題で、ゴールはどうあるべきか」をまず突き詰めることが本来は重要である。逆にゴールは正しいが、それを解決できない技術を選定してしまうこともある。これは結果的に消費者に嘘をつくことになり、最悪である。
つぎにリスクの取り方にギャップがある。端的に言えば、産業は製品化を急ぎアカデミアは結論を濁す。産業は、製品化に対するリスクに対して楽観的すぎる。逆にアカデミアは悲観的すぎて、いつまで経っても前に進まないと思われる。
3. 言葉のギャップ
産業は議論に主語がないことが多い。これは日本語の性質上、主語を抜かすことができるためである。主語が変わると意味が変わる。逆にアカデミアは主語を気をつけすぎて会話がくどい。
産業は議論が抽象的すぎ、対してアカデミアは具体的すぎる。抽象的な議論は曖昧さを含むため、受け取り手によって理解が変わり、不幸を生む。逆にアカデミアの議論は具体的すぎて理解されないことがよくある。
ギャップの原因の考察
株式投資の不足
1つ目の要因として株式投資の不足を挙げる。下記の図はJAFCOによるディープテック領域への投資不足の要因を考察するした図である。図では、特に創業期・アーリーステージの投資家が絶対的に不足していることが原因として言われている。ここに投資するファンド、いわゆる「ギャップファンド」が日本では圧倒的に少ない。
(source)
特に、1社あたりの資金調達額の中央値は1.7億円と、SaaSスタートアップの2.5億円よりも大幅に小さい。研究開発型スタートアップはSaaSスタートアップと比べて仮説検証にかかる労力やコストが大きく、期間も長期に渡るにもかかわらず、1社あたり調達金額が2/3程度しかないのである。これでは満足に仮説検証を行なう前に死にゆくことは容易に想像できる。
(source)
投資を不足させている要因として、上図では良い資金調達スキームがないことが挙げられているが、これはアメリカでも似たような条件であることから、単純にSAFEやJ-KISSなどのスキームを有効活用できていないと考える。
別に大きな理由として、投資家に博士課程やPh.D.などの専門知識を持つ人材が不足していることが考えれる。そのせいで目利きができるプロのいない領域へ投資判断を行うことは非常に難しい。一方、アメリカには、理系院生をVenture Capitalのインターンとして採用し、そのまま出資権限を持たせる文化がある。
民間投資(産学連携)の不足
同様に、国内では、民間からの投資不足も原因として挙げられる。産業とアカデミアの連携がまだ少ないため、研究費の総額が少額に留まり、スピードとパワーでアメリカに劣ってしまう。
(source)
よく「日本の研究者は薄給にも関わらずブラックだ」と言われる背景には、こうした資金調達の困難さが挙げられる。政府や大学から降りる科研費は雀の涙ほどであり、多くの研究者は民間などから賄う必要があるが、これが非常に難しい。
産学連携が少ないと、発明された知識が産業に流れず、現実の問題がアカデミアに流れないという不整脈の状態に陥ってしまう。
アントレプレナーシップの欠如
一方で、死の谷の原因には、アカデミアのアントレプレナーシップの低さも挙げられる。
アメリカでは、GoogleやTeslaなど然り、研究者が研究成果を元に起業するケースが度々見られる。スタンフォード大学のエンジニアリングにはアントレプレナーシップを醸成するためのプログラムがある(そのための特別なスペースもある)。そして大学を卒業した実業家が度々公演に来る。これにより、アカデミアの間にもアントレプレナーシップが培われる文化がサイクルとして整っている。
一方、日本ではそのようなプログラムの用意が進められているのは最近になってからで、成功事例も少ないことから、アントレプレナーシップ育成文化を構築するためにはまだまだ時間がかかる。
ギャップを解消していくために
死の谷を克服するためにすべきことを考察する。ただし、死の谷を克服することは、一長一短でできることではない。よってここでは、まだ場の整いきっていない日本において現実的にできることを3つ紹介する。
1. 研究者の芽を海外に送り出す
先述の通り、アメリカなどには、日本よりもはるかに産学連携とアントレプレナーシップ育成の制度が整っている大学がある。そこで学生期間を過ごすことで日本で学生をするよりも大きな経験を積むことができる。
彼らが海外で活躍することで、日本人が海外に行くための道が形成される。それを契機にどんどん海外へ学生を送り出し、その経験を日本のギャップファンドやアントレプレナーシッププログラムへ還元してもらうのがよい。
アメリカなどの一部の国では、大学・大学院・Ph.D.とプロフェッショナルに行くにつれて入学の競争率が高くなるため、送り出すなら若いほうがいい。
2. ギャップファンドを増やす
日本のPEファンドやVenture Capitalは、チームに研究バックグランドを持つメンバーは少なく、投資期間が3~5年と短いことが多い。これは、投資先に対して「5年以内にEXITしろ」と言っているようなものであるが、例えばスペースシャトルの研究に対して「5年で打ち上げろ」と言うのは無理強いである。そのため、より長期間を見据えて投資を行うギャップファンドが重要となる。
現在、日本では金沢大、大阪大のプログラムやSTARTなどがあるが、学生のアントレプレナーシップ醸成の目的も込めて、各大学にギャップファンドを設立し、博士や教授をアドバイザーとして招聘するのがよい。
3. アカデミアと産業の交流機会を増やす
学会に産業枠を設けたり、企業で講演会を開くことなどが考えられる。産業の活動内容はプレスリリースやSNSなどで周知されることが多いが、アカデミアの活動成果は世に知られることが少ない。Financial Cryptography and Data Securityなどの一部の国際学会では産業枠が設けられており、この交流機会がある。
4. 研究開発部門を設置する
産業は、アイデアの議論が社内だけに留まり、プロフェッショナルと学術的に議論する機会が少ない。R&D部門があると学会に顔を出しやすく、相乗効果的にアカデミアとの交流機会を増やすことができる。